リッキーくんの一周忌
今日、2月20日は、昨年老衰(享年19(満17歳))で亡くなった、我が家の初めての愛犬「リッキー」くんの一周忌です。
本日は番組を変更して、リッキー追悼特集『犬小(イングヮー)との生活』をお送りします。
※「イングヮー」:沖縄方言で犬のことをインと発音します。
リッキーのインターネットデビュー
今から18年前、西暦2000年に作成した家族のホームページのメニューに、『Ricky’sPage』というタイトルでリンクされたページのコピーをお届けします。
当時の写真やバナーをできるだけ見やすく加工していますが、携帯写メ時代の写真なので、見にくいところはご了承ください。

はじめまして!ぼくはリッキーです。
何卒よろしくお願い申し上げますワン(ベタ)。

自己紹介
本名:力丸・Martin・○○。
でも、みんなリッキーと呼ぶので、りきまると呼ばれても返事できません。
年齢:1999年3月26日生まれ。
まだ生後1年にならないけど、いぬだからパワー全開だよ。
性別:おとこだよ。
でも手術したからタマはもうないの。
犬種:雑種だよ。
琉球犬やコーギーやブルドックや、いろんな血が混ざってるぞ。(たぶん)
甘いものも好きだけど太るからあまり食べない。
自慢:ワクチンを全部打ったこと。
痛かったけど、がんばった。
好きなこと
とくに、学校の校庭や広い公園で走り回るのが大好き。
骨の形をしたおもちゃや、木の棒をかじるのが大好き。
すごく怒られたので今はやらないことにしているんだ。
それから、投げた棒を拾ってくるスピードは誰にも負けないぞ。
3.子供と遊ぶこと。
子供はぼくをかまってくれるので大好きだけど、
嬉しさのあまり知らない子供に飛びついたら、
思いきり蹴られたので最近ちょっと慎重。
いちにちの生活

寝ているときも、不審者が通ったら遠慮なく吠えることにしているから、
散歩のあと朝ごはんをたべて昼寝、
日中はおかあさんとちょっと遊んでこぐまが帰ってくるのを待っているよ。
※こぐま:我が家の息子の愛称です。
こぐまが帰ってきたら一緒に遊んで、
夕方また散歩して夕食。
でもたまに拾い食いをして怒られちゃう。
夜はくまさんが全身マッサージをしてくれるのが楽しみ。
マッサージの後はぐっすり眠れるんだ。
とくぎとか

みてみて、この写真のジャンプ、すごいでしょ。
欲しいものがあったらどんな高さでもジャンプするよ。
だけど気が向かないときはやらないよ。
無理にやってもストレスたまっちゃうし。
今はカジカジするほうが楽しいからまだ無理みたい。
でもいつかやってみせるよ。
当時小学1年生の息子が犬を欲しがり、飼育経験がある妻が大賛成してイオン(当時のジャスコ)の里親募集イベントに行ったのを覚えています。
譲渡会を主催していたのは、今も県内にある動物愛護団体のケルビムさん。何度か家にも来ていただき、犬の飼育について一から教えて貰うなど大変お世話になりました。
上のリッキーの紹介記事は、「ブログ」なんて言葉もなかった頃のページです。
写真も小さく、テキストエディタでコツコツhtmlコードを手打ちして作った拙いページですが、成長するにつれて犬との遊びの幅が広がって、犬を飼っていることの幸せが溢れているのが我ながら今見てもわかる文章です(笑)
実はこのホームページは何年も放置しているんですがまだ現存していて、20年近く前のものなので今回久しぶりに読んでとても懐かしかったです。息子が初めて書いた50音の写真なんかも残っているのを見つけたりして、いまとなってはすごく貴重だなと思います。
ふと思ったけど、こういうのってAuthorが死んだらどうなるんでしょうね。人知れずわが家の歴史の一部がネットに残るってなんだか不思議な感覚ですよね・・・。
リッキーの成長アルバム・大事な想い出
3さい(2002)
リッキーはとにかく体力のある犬でした。全身の筋肉はモリモリしていて、かかりつけの獣医さんは、いつもリッキーを見て「トップアスリート並みの身体だよこの犬は」と何度もおっしゃいました。
夏の沖縄は朝夕でも少し歩けば暑く、犬の散歩も大変な労力ですが、リッキーの散歩は長い時で毎日6~7kmも歩いていました。
暑い中をそれだけ歩いても、リッキーはいつも元気よく、周囲の匂いを嗅いだりしてへばることがありませんでした。たいてい、へばるのはリードを持つこっちのほう。汗びっしょりでぐったり。
この写真は、当時の散歩コースの途中にあった草の生えた空き地で、散歩の際、ここでリードを外してやると、広場の端から端まで自由に散策を楽しんでいました。
現在は再開発によりなくなってしまった、思い出の場所です。
4さい(2003)
この頃のリッキーはカッコいいなぁ。
凛として、身体の隅々まで若々しい。ああ、懐かしいなあ。
体力のピークはこの頃でしょうか。全身に力がみなぎっている感じですね。
この写真は立派なものもいい具合に隠れていて良いね。
5さい(2004)
愛車ミニ・ク―パーの整備や洗車をするときは、いつも近くに座り眺めていたリッキー。
洗ってないで遊んでくれ、という目をしていました。
風とおしの良いリッキーエリア。夏は室外機の風が回ってしまい、暑くなることもありました。
この年のクリスマスプレゼントは、動物の皮でできた巨大な骨ガム。
あまり夢中で噛み過ぎて、歯茎から出血してしまったよね・・・
硬いよもう
6さい(2005)
リッキーの家は、茶の間のガラス窓の外にあって、いつでも中を覗けるところ。
リッキーはいつも中を見ていたいのか、たいてい屋根で寝ていました。
「お前らだけ~」怒ってる?
この年、おじいちゃん(私の父です)が北海道から遊びにきました。
最初は唸っていたけど、すぐに打ち解けて腹を見せました。
自慢のおっぴろげを披露しています。
前年のプレゼントは硬すぎた(それでもあっという間に全部食べた)から、この年はもう少し柔らかいおやつにしました。
7さい(2006)
暑くても元気だったリッキー。この頃は少しへばるようになりました。
お腹ぴったりつけて涼んでいます。
屋根が少しでも涼しいように、アルミマットを敷きました。
8さい(2007)
柔和な顔をしていますが、知らない人が敷地に入るとものすごく怒りました。
家の小さな庭で毎年GWにやっていたバーベキュー。
準備を始めたら、いつも誰よりも先に、炭を熾す前からテーブルのそばに座り準備していました。
この日は大好きな肉がたくさん食べられることを、誰よりもよく知っていたんです。
期待パンパンのつぶらな瞳が可愛いな。めっちゃワクワクした顔です。
犬種は全然違うんですが、座り姿で「ビクター!」と呼ばれることも多かった。(←分かるヒト)
それにしてもおっぴろげてないにも関わらず股間が立派ですね。タマはないけど。
このように、ギリギリ食べ物に届かない長さに調整して、一緒にバーベキューをしました。
それでも、ちょっとした隙に焼く前のソーセージを食べられたこともあったなぁ。
おっぴろげの股間ではなく、そのすぐ前方の腹の張り具合を見てください。ぼっこり出ている。
いつもは制限する肉も、この日だけは食べたいだけあげていました。牛や豚、チキンを炭焼きにした塊を旨そうにあっという間に平らげていたな。この写真は、まだ始まって30分くらい。
さあこれからってぐらいの時には、とっくに満腹になって横たわっていた。
9さい(2008)
いつのまにか疲れが顔に出るようになったね、リッキーおじさん。
当時、趣味でハマっていたビーズ細工。
リッキーをモチーフにマスコットを作りました。
もようはリッキーそのものです。
10年経っていますが、これ、今でも現役で妻がガラケーにつけています。
10さい(2009)
ハンバーガーが大好きだった、日本のイヌ、リッキー。
「バンズと肉以外全部抜きイヌ用」といつもオーダーしていました。
けっこう笑ってくれたよ(*´∇`*)
手であげずに、皿に入れて渡すと、肉だけ先に食べてしまいます。
外出から帰ってきたらまずする、伸びのポーズ。
おかえり、のサインでした。
季節はずれの12月。
軟骨を買って来て七輪でやきとり。
このときも、炭おこしから参加していました。
11さい(2010)
時々、こうやって、室内に入りたい願望を欠片だけ体験させました。
よく、ここの網戸を鼻先で器用に開けて、知らぬ間に中に座っていたんだよ。
再開発地域の道路しかない区画を散歩。
誰もいないのでリードなしで歩いたよね。嬉しそうな顔。
12さい(2011)
リッキーは生後3か月から1歳前くらいまで室内で過ごし、その後はずっと外飼いでした。
室内で飼う毛質の犬ではなく、日ごろから毛がよく抜けるし、毛替わりすると言われる毎年春や秋にはものすごい量の毛が抜け、新しい毛に生え変わっていました。
毛がくっついてすぐに能力が落ちるため、頻繁にエアコンの室外機の裏側を掃除しないといけなかった。
アレルギーをもつ私は、毎日お腹のマッサージをしていましたが、すぐに顔や目が赤くなりました。
リッキーは家のブロック塀と母屋の間に置いた犬小屋で過ごしていましたが、そこで真夏でも真冬でも平気でした。
玄関のすぐ隣ですが、ワイヤーでつないでいたので郵便配達などの邪魔にはならなかった。
笑顔で「上等な番犬だね!」と言ってくれた、地区を担当する郵便配達員の方も、ずーっとリッキーの成長を見守ってくれた一人でした。
この年の2月20日、リッキーのわき腹にふくらみができ、徐々に大きくなったため病院に行きました。
腫瘍とのことで、手術で取った方が良いと言われ、すぐに手術をして切除。
検査をすれば悪性か良性かわかると言われましたが、悪性だったとしても年齢も高齢だし対応はないに等しいと言われたので、検査しませんでした。
結果的には良性だったのでしょう。数年あとに少し膨らみはできましたが、体調の悪化とかそういうことは全くありませんでした。
13さい(2012)
リッキーは手から何かをもらうのが好きだったなー。
これは、那覇市内を展望する丘の上にある末吉宮での1枚。
頑張って一緒に登ったよね!
14さい(2013)
この頃から、徐々に老いを感じるようになってきたので、好きなものはあまり制限しないように食べさせるようにしました。元からけっこう人の食べ物を与えていましたけど。
大好物はファミリーマートの焼き鳥。どっちも最終的には全部食べるけど、塩よりもタレ味を好んでいたように思います。ポメMIXのチョコには、タレを拭き取って与えていたけど、甘いものが好きなので余計な事しないでよって思っていたかも。
リッキー、最初は串ごと噛んで大変でしたが、慣れるとヒトのように軽く噛んでスーッと上手に串から抜いて食べれるようになりました。本当に頭の良い犬でした。ビールもあげたくなっちゃうくらい。
15さい(2014)
おじいの横顔
16さい(2015)
この頃まで、足腰は割と普通だったんです。
後に一気に衰えるなんて微塵も感じさせませんでした。
よく、チョコと一緒に散歩したよね!
チョコが道草して遅れると、ずーっと待ったあげく迎えに戻るということがよくありました。
散歩から戻ったときのスナップ。顔と股間がでかく立派である。
暑さにも弱くなってきたよね。
暑い日は、土間に入れろと催促することが増えてきました。
年老いた表情が似合うようになりました。
若い時のように「活力」を前面に押し出さず、よっぽどのことがない限り、通行人に吠えることも少なくなった。
おじい顔。
それでも、歳は取っても往年のアイドル。嫌々ながらサービスショットも撮らせてくれる。
17さい(2016)
前年末頃から、足の力が急速に弱まっているよう。それでも散歩には毎日行きたがった。
足の老化はすすみ、ヨタヨタした歩きかたで散歩も家のごく近隣のみ。
排泄のために出るような感じになりました。
外の犬小屋は段差がありもう出入りできないので、コンクリート打ちっぱなしの土間に引っ越し。
ヨタヨタ、足を引きずりながらも土間を徘徊することはできました。
表情だけ見ていたらまだまだ元気!!なんだけどね。
8月盛夏。家族の留守中は、締め切った土間の温度が40度近くなるため、リッキーは再度引っ越し。
リッキーにとっては、長年夢見ていた室内犬生活の開始となる。
今さらかい!って怒っていたかも。
しかし、室内でも自由にさせられないほど足が弱っているのと、自分でトイレができないためサークルを設置。あとおむつを使うようになりました。
イヌ用がずり落ちるので、ヒトの子ども用のを買い、穴をあけて使っていました。
ポメMIXの室内犬チョコは、ボス犬リッキーが室内に入りびっくり。でもすぐ慣れました。
長い間外から覗くだけだった茶の間も、足を引きずりながら散歩。
食べたいものを催促します。
すぐもらえるのも、室内住みの利点だよね!
一番笑ったショット。扇風機で一休みする姿。
満18さいちょっと手前(2017)
最後の1カ月は、だんだん立つことも難しくなっていき、排泄も垂れ流し状態(おむつはしていた)で、完全介護が必要な状態になりましたが、がんばりました。
ラスト1週間はほぼ寝た切りで、時々苦しそうに鳴いたり。食事もとらなくなり、排泄もなくなり、それでもスポーツドリンクだけで4~5日生きながらえたんです。
見てる方も苦しかった。思い出すだけでも苦しくなる。
けれど、本人が生きようとしている意志がわかるんですよ。
もう、すぐにでも病院で安楽死したほうが確実に楽だろうと思っても。
オレはまだ死なない、という迫力のようなものが本当にあったんです。
最後。真夜中。1時間以上鳴き続けてはあはあしていました。
何をやっても泣きやまず。
結果的に、お母さん(妻)に抱っこをしてもらいたかったらしい。
お母さんが水を飲ませるのに膝枕で抱え込んだら、鳴いているのがピタっと止んで、苦しそうにしていた呼吸がすーっと止まりました。
そっか。ごめんね気づかなくて。
最後は、子犬のときのように、抱かれて逝きたいよね。
亡くなった直後の顔。ものすごく、安心した顔していませんか?
これを見て、みんな救われたんです。
ああ、生き抜いてくれたんだ、と。
次の写真は、人によってはショッキングな写真です。
リッキーが亡くなった直後の全身画像です。
嫌な方は、見ないでください。
ここまで読んでくれた方は、若い時のムキムキのリッキーを見てくれたと思います。
リッキーが限界超えのように生き抜いた末の最後の姿を、見られる方にぜひ見ていただきたいと思いあえて載せておきます。
こんなに頑張ったんです。生き抜いたんです。立派です。
身体は衰弱しきっていますが、表情ですくわれます。
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2018.2.20
リッキーの最後の戦いが終わってから、もう1年が経つ。
時が経つのは早いです。
でも、一日も忘れたことはありません。
こんなに賢くて元気で、本当に家族の一員として、どんな日も家族を見守り、寄り添ってくれたリッキー。
私たち家族にとっては、リッキーとの想い出は一生の宝です。
ありがとう、リッキー。
リッキー。
チョコもニャーすけも、おまえの後を追うように行ってしまった。
おかげでリッキーは1人寂しい思いをしなくて済むね。
みんなで楽しく仲良く待っててね。
これからも、決して忘れることはないよ。
いつかまだ、虹の橋で再会しようね。
長い長い記事。
最後までお読みいただきありがとうございました。
もう十数年前になりますが、我が家の最後の犬でポインターのパールも、12歳で老衰で亡くなりました。
リッキーちゃんと同じく、ガリガリに痩せて…。
その1年程前から、私が名古屋市内で一人暮らしをしていて、年末に帰省する数ヶ月前から食が細くなっていたのを聞いていました。
私が帰省してすぐ パールの所に様子を見に行くと、ガリガリに痩せているのに、立つのもやっとなのに、思い切り 嬉しさ全開で尻尾を振って迎えてくれたパール。
「立たなくて良いよ。無理しないで、パール。」と繰り返し言いながら抱き締めても、それでも尻尾を振り続けました。
その2日後、パールは一人で虹の橋を渡って行ってしまいました。
前の年の御盆に亡くなった 大好きな私の父の元へ。
凄く安らかな顔でした。
ズッと会えなかった私の姿を見て、安心したのかも知れません。
でも、もっと長生きして欲しかったなぁ…。
今は縁あって、元捨て猫のミカン(ミックス・女の子・5歳)がいますが、仔犬から私が育て上げたパールの分も、悔いの無いように大事にしたいと思います。
ゆづきさんも、愛するワンちゃんとの別れを経験されているんですね。
実は、うちも息子が昨年の正月明けまで関東圏に住んでいて、帰ってくるまで間に合わないかも知れない、でもリッキーなら意地でも待つかもしれない、と揺れた気持ちでいたんですが、結局息子の帰りをしっかりと待っててくれました。
パールちゃんも、最後の力を振り絞ってゆづきさんを待っててくれたんですね。
犬はそういう、素晴らしい思い出ばかりくれていたんだなあと後になって痛感しました。何というか本当に親孝行?家族孝行だなあと感じています。
ゆづきさんも、今はミカンちゃんと楽しく過ごされていると思いますが、私も今いる猫たちと共に悔いのないように生活していきたいです。
ゆづきさんとみかんちゃんが末永く健康で暮らせるよう祈っています。
コメント、本当にありがとうございました。