このブログをはじめる前に、先代の我が家の猫、ニャーすけについて書いておく。
出会い
ニャーすけをはじめてみたのは、2016年の夏だった。
以前からごはんを貰いに通っていた黒猫があるとき子猫をつれてきた。
(初めて撮った写真。この頃はまだ置き餌より母猫のミルク狙いのようだ)
それ以来、母猫と毎日訪れるようになった。ごく稀に来ない日は、逆に心配したほどだ。
安全ゾーンである我が家の庭で、食事のもらい方や、木製の階段や外に置いた犬小屋の屋根の上で昼寝をしたら気持ちが良いこと、さらに土間の屋根近くまで登れば、黒いネットで囲まれた落ち着く空間があることなど、優しい母猫に様々なことを教わりながらくつろいでいたようだ。
私たちはその情景がずっと続くと疑わず、微笑ましく見守る日々を送っていた。
子離れ(親離れ)の時期がきた
ある日、いつものように訪れた親子ペアに突然終わりが来た。
残暑が続く9月下旬のこと、
母猫が子猫に対し、今まで見たこともない威嚇行為をしたのだ。
「シャー!!」
見ている方もわけがわからなかったが、今まで優しかった母猫に突然威嚇された本人はもっと困惑していたように見えた。何度寄り添おうとしても、ものすごい勢いで威嚇される。
昨日までのように対応してくれない母猫は、そのまま子猫を置いてどこかに帰ってしまった。
たぶん、子離れをするタイミングだったのだろう。
ぽつんと残され、さみしそうに母猫を見送った子猫は不安な眼でこちらを見て、
その日からうちの庭を離れなくなった。
(置いてきぼり直後に撮ったスナップ。めちゃくちゃ不安そうな目をしている。)
「ニャーすけ」と命名し家族に迎え入れる
居残り子猫をどうするべきか緊急家族会議(と言っても二人ですが)の結果、母親は懐いてくれないのではないかと危惧したため「子猫だけでも保護しよう」ということになった。
保護を決めた日に土間に入れ、通販でケージを注文するなど室内飼いの準備をした。
ほどなく子猫を「ニャーすけ」と命名し、新築の三重の塔(三階建てケージ)の主として我が家の一員になってもらった。
(ケージ生活をはじめた頃のスナップ。)
黄金期、からの悪夢の二連敗
この、ニャーすけが合流した時期が今思えばうちの黄金時代だったのではないだろうか。
長老の犬18歳、ポメMIX13歳の2匹の犬と猫1匹。
長老犬は♂で若干介護が必要な状態で、外飼いしていたのを室内飼いに変えたばかり。
(かかりつけ獣医さんにトップアスリート並みと言わしめた頑丈者だった。)
ポメMIXは推定6~7歳頃に我が家に迷い込み、種々の手続きを経て家族になった温厚な♀。
(どこに行っても可愛いと言われた迷子の天使。「よく来たね」と1万回は言った。)
心配した犬との同居も、犬側が老齢でかつ広く優しい心を持っていたため問題なく、新入り猫と2匹の犬のようすを見ているだけで本当に楽しかったのだ。
(ポメを格好のライバルとみなしいつも意識していたが、相手にされないことが多かった。)
しかし、その楽しい時間は長くは続かず、年明け2月に長老犬が老衰で逝去。
さらに約半年後、元々気管虚脱気味だったポメMIXがまさかの急変で逝去。
長い間家族として連れ添った2匹が短期間でいなくなってしまった。
まさかのニャーすけロス
2度も犬を失った私たちが、なんとか日常生活に戻れたのは、ニャーすけの存在があったからだ。
ニャーすけが来てから、犬しか飼ったことのなかった私たちの、猫に対する常識は一変した。
まさに目から鱗の日々で、日が経つほど猫が好きになっていった。
(セルフ腕枕は昼寝時の得意ポーズだった。)
猫嫌いを標ぼうしていた私でさえ、
時に犬より猫の方が好きなのではないかと考えるようにもなった。
また、目や皮膚が赤く痒くなりもふもふできなかったアレルギーもちの私は、最初のうちは市販のアレルギー用の薬を飲みながら触れていたのだが、いつのまにかそうした症状も出なくなった。
今年二度の犬との別れのあとには、先に逝った犬の分まで愛情を注ぐからね、おまえしかいなくなったんだし長生きするんだよと何度も話しかけた。
今年10月、ちょうどニャーすけを迎え1年経とうとする頃、突然体調を崩してしまった。
お腹をこわした状態が長く続き、お気に入りのおもちゃで遊びを誘っても反応が鈍くなった。
少し様子を見たがみるからに元気がないので、かかりつけ医につれて行き発熱への対処してもらった結果、いったんは回復はしたものの、11月の頭に、今度は呼吸のとき苦しそうに横腹が大きく動いているため再診。
検査したところ、猫白血病ウィルス感染症(FeLV)キャリア陽性という結果が出てしまい、おそらくそれが発症し、リンパ腫ができているとの診断だった。
主治医ははっきりと余命を告げなかったが、予後は良くなく、そう長くはないでしょうと言われた。
病気のことなど全然知らなかった私は、ニャーすけがそんな末期症状に見えないこともあり、それを聞いても「少なくても数か月は生きられるのだろう」と思っていた。
結果的に、その診断された日以降、病状は悪化の一途を辿った。
新しい腫瘍が急に大きくなったり、リンパ腫のため溜まった胸水を2~3日に1回抜いたり。
インターキャットもステロイドも投与してもらっていたが、目に見えるような効果もなく、治療に行くたびに徐々に衰弱するのもわかり、体重も軽くなっていった。
最後はひどい貧血状態で、急きょ関東圏からレンタルした酸素濃縮ボックスに入れた翌日に、静かに息を引き取った。
猫の、とくに病気の猫の最後は壮絶なほど苦しむと読み聞きしていた。
でも、ニャーすけの場合は、酸素ボックスで横になる本人が無意識に水が欲しそうなしぐさをしたため、水を与えたらすぐにストンと眠るように心臓も呼吸も止まるあっけない死に方だった。
長年犬と共に暮らしていた私たち家族にとって、猫そのものの様々なことや、猫との暮らしがどんなに楽しいのかを教えてくれたのがニャーすけだった。
保護時が生後約半年前後だったので、亡くなった時はまだたったの1歳半。
これから長い時間をかけて、家族としての思い出をたくさん積んでいくはずだったのに。
野良から家猫になり、良かったと思ってくれるような実感を、何度も味わってもらいたかったのに。
動かなくなってしまったニャーすけを見て、何度も、何もできなくてごめんと謝った。
ニャーすけの発症、そして死までの日々は、短い期間だったのに辛く長かった。
ニャーすけは野良だったから、うちで過ごしたからには(たぶん)一人で死んだであろう母猫のようにはさせない、逝くときは絶対看取ってやると決め、夜も仮眠程度で状態を確認する日々だった。
そんな思いがニャーすけに伝わっていたのか、最後の日は日曜日で、昼から意識混濁し、夕方、家族全員に看取られながら逝ってくれた。
最後の力を振り絞って、残る私たち家族のことを考えてくれたんだと思う。
ペットロス
ペットロスは体調不良や精神の不安定を引き起こす。
かなり前から介護していた長老犬のときは、まだ心の準備の時間も十分あったものの、それでも私たち家族の心身に大きな影響があり、程度の差はあってもしばらく沈んだ日々を過ごした。
それから半年あまりでの、ポメMIXとニャーすけの立て続けの死。
両方とも想定外だったし、本人たちの年齢からしても早すぎだ。
病気とはいえ、神様はこんなにも残酷なのかと呪いたくもなった。
私個人はポメMIXへの依存度が極めて高かったため、ニャーすけより先に死んだポメMIXのペットロスを未だに抱えている。
自分の手の中にいる大切な犬が、鼻や口から血の泡を吹いて苦しんでいる姿、心臓が止まった瞬間、その後の心臓マッサージなど数々の情景が、薄れることなく未だに何かの瞬間にフラッシュバックで現れる。
内面は全然立ち直れていないのだ。
そんな状態にニャーすけの死がさらに重なって酷い思いをしている時、ネットでFeLVの情報から巡り巡って里親探しのページに辿りつき、今回迎える2にゃんを見つけた。
ポメの時と同様に、引きずりながらひたすら耐えることも考えた。
しかし、さすがに1年で3匹との離別の辛さを積み重ねるには耐えられず、勇気を出して里親の問い合わせをした。
そう、私は痛みに弱く、意志も弱いのだ。
新しい子を迎えたところで失ったことを忘れるわけではないと自分に言い聞かせ、失った子たちの代わりの存在としてではなく新しい子を迎えるのだと自分に言い聞かせ、家族同然のペットを失うことで思い起こされた数々の後悔と、行き場のなくなったポメやニャーすけへの愛情の行先として、2にゃんに全力で注いでいくのだと自分に言い聞かせている。
ニャーすけへ
ニャーすけ、本当にありがとう。
一緒にいる日々は本当に本当に楽しい日々でした。
うちを選んで来てくれてありがとう。
いろんなことを教えてくれてありがとう。
いろんな表情・しぐさをありがとう。
遊んであげていたつもりだったけど、遊んでくれてありがとう。
伝えきれない感謝の気持ちは、これから長い時間かけてたくさん写真に語りかけるよ。
虹の橋があるならば、そこで母猫や先輩犬たちに会えたかな。
みんなに思いきり甘えて、楽しく待っててくれたらうれしいです。
(2017.11.29記)
コメントを残す