首里城焼失

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首里城が焼けおちました

首里城公園でのスナップです

2019年10月31日未明に正殿で火事発生

昨日、首里城が火事になり、主要な建物が全部焼けました。

本日は、予定を変更して首里城に関する記事を掲載します。

通常、首里城公園の有料区域に入ると、
奉神門⇒御庭(ウナー)⇒南殿⇒正殿⇒北殿という順路で観光することになります。
ウナーはただの広場ですが、それ以外の順路の建物や門は全焼もしくは使い物にならないくらい焼けました。
まだ暗いうちに、家から遠くに見える首里城がものすごい火柱をあげて燃えている光景を見た時は大きなショックを受けました。
何と言うか、気(魂)が抜けた気分で、あの首里城が焼けてなくなったことを思うと涙が止まりませんでした。

首里城は世界遺産?

首里城が世界遺産(文化遺産)に登録されたのは西暦2000年。沖縄サミット(第26回主要国首脳会議)の年です。

登録の内容は、「琉球王国のグスク及び関連遺跡群」となっており、沖縄本島に点在する1. 首里城跡、2. 園比屋武御嶽石門、3. 玉陵、4. 識名園、5. 今帰仁城跡、6. 勝連城跡、7. 座喜味城跡、8. 中城城跡、9. 斎場御嶽の9つの城跡等が指定されています。
このうち、首里城公園の敷地内にあるのは、1. 首里城跡と2. 園比屋武御嶽石門になります。

「城跡」というのは文字通り「しろあと」の事で、首里城だけが城跡に復元された建物が建っていて、他の城跡はお城を囲む石積みの城壁や城の基礎の一部しか残っていません。

世界遺産の指定はあくまでも遺跡群に対してのものであることから、焼失した首里城の建物自体は世界遺産として指定されたものではないのです。
なお、首里城跡の地下の遺構の一部は、正殿1階の床から見ることができるようになっていました。

私と首里城

私は平成元年に転勤で沖縄に来ました。それから3年後の平成4年に今の(昨日まであった)首里城が一般公開されました。
公開された年に行って以来、子どもが小学生のときにまた行き、その後は来客案内以外はほとんど行くことがありませんでした。
でも、徒歩で最短経路だと家から20分弱でたもとの池まで行ける首里城は、散歩やウォーキングの目的地として、また写真撮影散歩のフィールドとして恰好の場所にありました。特に「京の内」はうっそうと植物・樹木が生い茂り、お気に入りの場所でした。「西のアザナ」からの那覇全体を見渡せる風景も綺麗です。
公園内のどこにいても、風が通り気持ち良く癒しの空間のような雰囲気も味わえて心地よいエリアです。ここ数年は、有料区域の年間パスポートを毎年更新するくらい、首里城に親しみながら生活していたんですが・・・。

これから・・・

首里城の所有者は沖縄県ではなく国です。ほかならぬ「沖縄」の首里城ですから、所有者である政府が責任を持って復元することになると思います。(ちなみに管理運営は県と言っても再委託先は元々政府系財団の美ら島財団ですからこっちも雑に言うと国ですよ)

沖縄出身者ではなくても、沖縄県民歴30年超の私も復元を熱望しています。
首里に住み、首里城に親しんで生活してきました。よそ者ですが、誇りにも思います。またいつか、勇壮な琉球の時代に思いを馳せられるような美しいお城を復元してください。お願いします。

その前にまずは事故の検証ですね。原因は何か。再復元する時にその防止策の適用はマストになりますよね。火事で何度も焼失しているので、次は不格好でも万全の消火設備を備えてください。
あと、首里城は今年の2月から所有権は国のままで、管理だけ県に移されています。管理運営の移管に伴って、国管理時の非常に厳しいルールの緩和のようなことも県は考えていたようですので、その辺の検証もぜひ行っていただきたい。出火の原因が何にせよ、管理運営している県の責任はゼロではありません。

チョコちゃんは首里城公園出身

わが家の猫なっチョロチョ(なつめ、チョロ、チョコ)のうち、チョコちゃんは首里城公園にある龍潭池のほとりで保護した猫ちゃんです。そこには公衆トイレがあり、その入口にチョコんと座ってミャーミャー鳴いていたんです。木の上にカラスが複数いてそのまま放置したらやられる!と思って家に連れて帰りました。
あのままあそこで成長してたら、わんさか集まったマスコミにシッポを踏まれていたかもしれません。

チョコちゃんは家に来てよかったね!
というか、来てくれてありがたいのは私たちなんですが。

首里城の写真

ありし日の首里城、これまで何枚の写真を撮ったかわからないくらいですが、その一部を掲載します。

京の内から正殿を望む

下之御庭

奉神門 毎日8:30に御開門(うけーじょー)の儀式後開門される有料区域の入り口

南殿

正殿

北殿

御差床(うさすか) 国王が座る玉座。

御差床(うさすか)アップ

首里城内の要所には順路案内係の人が立っています。

正殿内部には綺麗な彫刻がふんだんにあしらわれている

柱や壁の漆塗りも美しい

正殿1階の平御差床(ひらうさすか)

書院(しょいん)

鎖之間(さすのま)で往時の賓客体験ができる、琉球お茶菓子(有料)

夜の首里城正殿

早朝の守礼門

龍潭池から首里城を望む

上と同じ位置から。火事ではなく、ライトアップされた美しい首里城

夜の右掖門 この写真で首里城写真コンクールに入賞しました


いかがでしたでしょうか。
インバウンド客増加前の写真ですので、あまり人混みもない落ち着いた風景が記録されています。
今となっては見られない風景、撮れない被写体になってしまいました。

写真を補正しながら、これがもう見られないのだと思うとまた涙が滲みました。
意外と私にとって大事だったのかも知れない首里城。喪失感が大きいです。

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました♪


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2 件のコメント

  • とても痛ましい事件となりました。
    あんな場所が燃えるなんて…
    考えもつかないしなかなか想像出来ない火事ですよね。
    首里城は何度か訪れましたが、門の所で見たこともない形のカタツムリを当時まだ小さかった息子が見つけて喜んだのも懐かしい記憶です。自然豊かな事も首里城の魅力でした。娘との母娘二人旅をした時は首里城の広場で阿波踊りのポーズを取った娘の写真が懐かしく残っています。元々、阿波踊りの由来は沖縄の踊りが元になっているようなんです。
    聞けば首里城は戦後の復興から30年かけて復元された所だったとか。戦争で焼けてしまったので復元する資料や記録も少なかったので、地元の人の記憶や文献等を紐解きながらの復元はそうとう時間がかかったようですね。まさかまたこんな事になるなんて…
    私たち沖縄とは無縁の人間でさえショックですから、地元の方々が本当にお気の毒でなりません。
    またいつか、立派なお城

    • 阿波踊りの由来は沖縄の踊りですか?知らなかった・・・(*^_^*)
      カチャーシーは確かにそっくりですよね。沖縄の人から手の返しとあしを踏み出す時に腰を入れるか入れないかの違いがあると教えられた覚えがあります(笑)
      私も肉眼で見てショックを受けました。思いの強い地元の方ならもっと大きなショックを受けてるだろうと想像すると悲しみに堪えないです。

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